保守とリベラル

希望の党が行ったことは、日本からリベラル派を一掃することだと言われました。「排除」の理論、踏み絵の実施がそれを強く物語っていました。

リベラルとは何なのか、保守とはどういうものなのか、私なりに調べたことを整理してみます。

「リベラル」を英語表記すると「liberal」、自由(Liberty)主義と訳されます。自由主義の反対側にあるのが「全体主義・権威主義」となります。

自由を求めるということは、国家よりも個人が大事という思想につながります。それゆえ、自由主義は「個人主義」と言い換えることができます。

この自由という概念やそれを作り出す過程は、欧米では異なります。

欧州では、自由を求めるために国家の関与を極力排除しようとします。市場経済という考えがリベラル派で、小さな政府のイメージがあります。

ところが米国では、大きな政府であることが個人の自由を守るという概念になっています。大きな政府を標榜する民主党がリベラルと位置付けられています。

リベラルは自由主義であるという考えで見ると、リベラルの対局は「保守」という概念は存在しません。一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授によれば、リベラルの対義語は保守ではなく「右派」だと定義しています。

リベラルを「革新」ととらえると、その対極には「保守」というものが存在してきます。

よく右派・左派と言いますが、フランス革命のとき国王勢力を維持する側が議長から右側に位置し、新しい勢力を作ろうとするのは左側に位置したことから、保守を右派あるいは右翼、急進派を左派あるいは左翼と呼ぶようになりました。

このリベラルという概念は国によって解釈が異なるようで、何が自由で、何に対して革新なのかが違いますし、自由と革新、どちらにより比重を置くかでもリベラルのとらえ方は変わってきます。

それゆえ「保守なのにリベラル」だとか「基本リベラルなんだけど…」という表現が出てくるようで、それが分類をややこしく複雑にしているところがあるようです。

リベラル右派というのも実際に存在します。米国のリバタリアンと呼ばれる人の思想がこれです。

この話を進めていくとどんどん広がっていくので、きっちりとした議論は別の機会で行うとして、ぐっと身近にフォーカスして、日本におけるリベラルとは何かを考えていきましょう。

日本でリベラルを語る場合の中心軸には「日本国憲法」の存在があります。

これも護憲・改憲という区別ではなく、改憲の中にもリベラル思想は存在するわけですが、護憲は完全にリベラルと位置付けてよいでしょう。

戦前憲法とはちがい、日本国憲法は「個人」を中心に据えた「個人」を守るものとして作られています。

リベラルは自由主義でそれは個人主義ですから、個人を大事にしている日本国憲法を守ることがリベラルの本質となります。そこから護憲色が強いのがリベラルと称されるようになっているようです。

日本での憲法論議は安全保障が中心で、おそらくそれ以外、たとえば今回話題となった総理大臣の解散権を縛る7条解散の見直しや、道州制導入のための地方分権のあり方などの改正には、国家を二分するようなことはないかもしれません。

この安全保障の考え方で二つのイデオロギーに分かれています。

安全保障はアメリカとのかかわり方が中心で、マスコミでもよくつかわれる「対米従属」の是非が問われると思います。

対米従属はその名のとおり、アメリカべったりの姿勢で、これに対抗するのが、米国との関係の対等化で、日本葉どっちを選ぶのかが問われているようです。

そこに、自主防衛のための軍隊を持つかどうかの議論が重なってきているのでしょう。

保守とは、伝統文化を守ることを良しとするもので、戦前は天皇制を守ることが中心でした。

日本会議が保守と呼ばれるのは、戦前の家族制度を取り戻すことを活動の中心に置いていて、いわゆる家父長制的家族制度で、その実現のために教育のあり方を変えるだとか、あるいは夫婦別姓反対とかを唱えているのです。

そういう意味で日本会議は「保守」と言えます。

天皇制を守るためには、軍隊をもたない日本にとってアメリカに服従することが大事という立場で対米従属の姿勢を貫いているわけで、日米安保堅持の立場から集団的自衛権容認へとつながっていくのです。

一方リベラルは「革新」という意味合いでも語られ、一部はアメリカよりもソ連(現ロシア)に近づいたり、あるいはアメリカと対等な立場でいようとする勢力がリベラルと呼ばれるようになりました。

自民党の中でも「宏池会」と呼ばれるグループは党内リベラルと呼ばれていますし、アメリカよりも中国に近い自民党議員グループもリベラルと呼ばれています。

立憲民主党の枝野代表は自らをを保守と呼んでいますが、安全保障の重要性は理解しつつ、専守防衛を明確にする憲法改正には前向きという立場をとっています。

保守でありリベラルであるということです。ややこしいですね。

小池都知事が希望の党を使って排除したかったと思われるリベラルは、憲法改正反対勢力のことではないでしょうか。何が何でも憲法改正反対と言う勢力はもちろん、安全保障に前向きでない勢力も排除したかったのでしょう。

いわゆる「踏み絵」には現憲法下での安全保障制度の容認(集団的自衛権容認)と憲法改正賛成という立場を明確にせよと意味がこめられていましたからね。

小池都知事は、保守右派を結集することが目的だったと推察することができます。

将来的には、自民党内のリベラル勢力を切り離すことができるようにしたかったのではないでしょうか。

これは完全に憶測ですけどね。流れからみてそのような見方もできるかもしれません。

この話はかなり複雑で、おそらくもっと深いイデオロギーの部分もあるかと思います。もっと整理は必要ですが、私が勉強した範囲で大枠を書いてみました。

「日本の」という前提においての保守・リベラルの考え方をまとめてみました。

広告