だれも責任を取らない国

雪深い山形県小国町に、基督教独立学園高等学校という学校があります。全日制普通科を設置する、全寮制キリスト教系私立高等学校で、1学年約25名で、男女比はほぼ半々の学校です。

自分とは何か、本当の願いは何か、そもそも人は何のために生きるのかと、考えさせられる学校で、受験勉強はしないことがモットーのようです。

その前校長の、安積力也先生のお話です。

山形から東京に帰ってきて、東京の子供たちと話をしたときのことです。いずれも進学校に通っている高校生だそうですが、彼らは、流れにのって空気を読む能力に長けていて、自ら周りとは境界を作る傾向にあるそうですが、彼らの心の奥底には絶望感があるというのです。それは未来への展望が開けないという事です。

自分たちの将来が見えない不安を抱えているというのです。

ある20歳の大学生が、新聞の投書欄に「オトナが背負わなければならないことを、全て次の世代に先送りしている」という内容の文章を投稿していたのを目にしたそうです。いまのオトナたちが、すべての問題を若者に押し付けていると、その大学生は主張していることを嘆いておられました。

安積先生が基督教独立学園高等学校最後の年に、三年生に「何を恐れているのか」と問いかけたところ、返ってきた答えが「生きる時代が怖い」と答えたそうです。

今の若者は、心の底から、自分たちの将来に明かりがないと思っているようです。

それは大人の行動を見たから生まれてきた感情であり、いまの現状を冷静に判断した結果の答えなのかもしれません。

オトナ、それは政治家であり官僚であり、教師であり、経営者であり、全ての大人たちを指しているのでしょう。

この国はだれも責任を取らない…

「官僚の無謬性」という言葉があります。

「無謬」とは、理論や判断にまちがいがないことという意味です。いま流行の
「私、失敗しないので…」とはちょっとちがうかもしれませんが、官僚がする
ことは絶対で、決して間違っていないということです。

結果がうまくいかなかったとしても、それは官僚の行動が間違いではなく、イレギュラーなことによる現象だそうです。つまり、官僚は、自分たちの行動に決して責任をとることはありません。なぜなら、官僚は間違わないからです。

日本は、だれも責任を取らない国なのです。

若者の心の奥深くに、このような闇が潜んでいることは、紛れもない事実です。彼らは空気を読めるので、時代に合わせることができるので、表面的には、何も不自由を感じていないように見せられますが、心の奥底では、将来に不安を感じているのです。

生きる時代が怖い…山形の小さな町のごくわずかな子供たちの叫びは、決して一般化できる数ではないかもしれませんが、決して無視できる話ではないと思います。

若者は、常に時代に不安を抱えていることを、私たちは知るべきなのでしょう。

そうさせたのは私たちオトナだからです。

選挙でしか、私たちは政治に参加することはできません。

それが民主主義なのか、多数決は正しいのか、数の論理は正義なのか。

正義は勝つ、それは当たり前で、勝った者が正義だからです。勝った側が物事のルールを決めるからです。

私たちは何を学ばなければならなのでしょう。私たちは何を次世代に伝えていかなければならないのでしょう。

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